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No.63 危機を乗り越え進歩した「陰」を補う用薬

 人体の「陰」の不足とは,組織に蓄えられている栄養素や水分の不足と,心身の休養態勢の弱まりを,表裏一体の状態として表した言葉です.「陰」を補う考え方は,紀元前(戦国時代) の医学書『黄帝内経』に,冷めない熱症状の治療原理として,原初的な記述があり,唐代の学者の解釈により,「陰」の根源である「腎」の働きを助けることで過剰な産熱が抑制できるという理論として明確化され,宋代の医師の考案により,「腎」の「陰」を補う「地黄」を主薬とする「六味地黄丸」という実際の手段として具現化されました.これは「陰」を補う基本処方になり,様々な加味処方が考案され,また,新たな生薬構成,他臓腑に「陰」を補う用薬の発展にもつながりました.特に清代には,急性伝染病(「温病」)の多発を背景として,「陰」を補う用薬に大きな変化が起きました.

 長期の発熱・消耗によって衰弱した人体を回復するため,外部に近く消耗しやすい「肺」と「胃」の系統の「陰」を優先して補う必要から,弱った組織に負担をかけず,やさしく潤して体液の回復に役立つ,「沙参」・「玉竹」・「百合」など,甘味と寒涼性による滋養と抑制の薬性をもつ生薬が多用されるようになりました.これは,「沙参麦冬湯」・「益胃湯」・「一貫煎」・「百合固金湯」などの処方として後世に残され,体表・上部の臓腑系統から「陰」を固めていくことを重視する考え方が漢方理論の中に確立されました.現代でも,呼吸器・消化器系の荒れた粘膜などの上皮組織を回復させる効果が,広範な病態の改善に応用されています.